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中陰の思想とは(上)

 中陰とは、人が亡くなって次に生まれかわることが仮に定まる四十九日までのことを指しますが、今から千年位前に中国で考えだされたといわれる地蔵十王経の経典によりますと、十人の王さまがいて人が亡くなった日から四十九日を七日ごとに分けて、それそれを担当する七人の王さまと、百ヶ日・一周忌・三回忌までの役目をすると三人と合わせ、計十人の王さまつまり十王が三回忌までの法則やストーリーを司っている。

 そのストーリーによると、例えば亡くなった人は初七日に泰広王によって、生前の悪事があったかどうかを審査される。次に葬頭河の姿によって、素っ裸にされて橋を渡る。その際悪事をした人は、糸のように細い橋になって、渡ることができず河に落ちてしまう。なんとか河を渡ったとしても、七日ごとに次々と担当する王によって裁かれる。といったストーリーである。

人は例え自殺願望者であっても本当に死を切に望む人はいないと思う。何らかの事情を満たせば、必ず生きていたいと思うものである。

誰もが死は本意ではないのである。残された家族のことをどのように思うか・・・・・を考える時その無念さは計りようもない。その上死んでから七日ごとに裁かれるなどは非情この上ない事柄である・・・・・。と、この経典を真正面から読むとそのような思いがある。

しかしよく研究すると、そうでもない深い妙心が見えますので優しい解釈をもって、このストーリーを記述致しました。

 

 

●初七日は、泰広王~しんこうおう~(本地は不動明王)によって生前の善・悪の有無、及び人の業の資質などの審査を受けます。

●二七日は、初江王~しょこうおう~(本地は釈迦如来)の担当の時。先ず葬頭河の婆さまによって生前の悪事や、どうにもならなかった自分の悪業などがついた衣服を脱がされ、清らかな身体で三途の川を初江王(お釈迦さま)に見守られながら渡る事ができる。

●三七日は、宋帝王~そうていおう~(本地は文殊師利菩薩)が邪淫の気持ちをもつ邪鬼を取り除き悪獣から守って下さる。

●四七日は、五官王~ごかんおう~(本地は普賢菩薩)は嘘をついたりした諸々の罪の重さを調べ、それを取り除いて下さる。

●五七日は、閻魔王~えんまおう~(本地は地蔵菩薩)は浄玻璃の鏡に、生前の悪事が総て写し出される事柄を見て、すべての悪事を消滅させて下さる。(但し記録はされる)

●六七日は、変生王~へんじょうおう~(本地は弥勒菩薩)は四七日の罪の重さを計った秤と五七日に生前の悪事を映した浄玻璃の鏡を再度チェックして、もう悪いことが残っていないかを確かめてくれる。

●七七日は、泰山王~たいざんおう~(本地は薬師如来)は、それぞれ生前における善悪を考慮して、次の生まれ変わり先を仮に決めてくれる。更に薬師如来の神通力をもってどのような難病の人も完治させてくれる。あるいは怪我で手足を失った人でも、元通りの身体にしてくれるのです。

 

ここで中陰・満中陰の行事は終わります。

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(つづく)