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各宗派によって異なる荘厳の仕方(臨済宗妙心寺派)

関山慧厳(1277~1360)長野県出身

無相国師のほか数々のおくり名があります。
伯父の宗忠に従った後、その師である建長寺の南浦紹明のもとで学び、ついでその門下の大徳寺の開山妙超についてその法をうけた。
紹明(大応国師)妙超(大燈国師)関山の三代を「応燈関」といって荘宗する。
花園上皇は歴応5年(1342)の正月に仁和寺花園の離宮を寄進して正法山妙心寺とし関山(無相国師)を開山と致しました。

妙心寺派はこの後足利義満によって境内寺領を没収され中絶状態になったが永享4年(1432年)に
寺領の一部が返されついでさまざまな人の外護を受け江戸時代初期にはかなりの大門派となったのであります。さらに江戸時代中期になってからも活躍がめざましく臨済宗の各派の中でもっとも大きな存在となったのであります。

現在の教勢は寺院の数3、435寺教会7、信徒1、760、000人となっております。